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千船病院広報誌 虹くじら 千船病院広報誌 虹くじら

緩和ケアには正解はないから、 永遠に悩み続ける。 悩み抜いた結果が正解だと思うようになった〜緩和ケアチーム・後編〜

2024.11.27 特集

「娘のウェディング姿を見るまで死なれへん」

 緩和ケアチームの中心は認定看護師の岩本だが、患者と接する時間が岩本以上に長いのはリハビリテーション科の竹井だろう。

 理学療法士の資格取得後、まず愛仁会リハビリテーション病院で回復期病棟での勤務と訪問リハビリを経験。2021年に千船病院へ異動した。異動前の病院の患者は回復期や生活期だったが、千船病院は急性期。戸惑いは大きかった。「回復期や生活期の患者さんは病状が安定しています。しかし、急性期はちょっとしたことで容態が急変しかねない。少し動いただけで血圧が下がる場合もあります。リスク管理が難しいと思いました」

 戸惑いの理由はもう一つあった。上司から「緩和ケアチームへの参加を前提とした異動」と告げられていたからだ。当時、緩和ケアの研修を受講済みの理学療法士は、その上司一人のみ。体制強化のため他にも研修を受けさせる方針が決まっていて、竹井は候補の一人だった。「自分にできるんやろうかと不安でした」

 夏に研修を受け、緩和ケアチームの一員としてリハビリを担うようになった。実際にやってみると、緩和ケアは回復期のリハビリと違う点が多かった。緩和ケアでは患者によってリハビリに求めるものが大きく異なる。たとえば「トイレは自分で行きたい」と頑張る患者もいる一方で、「もう頑張るのはしんどい。もう楽にさせてや」と動くことを拒む患者もいる。後者は、やはり緩和がテーマになる。「息苦しさのある患者さんは肩で呼吸をするので、首や肩の筋肉が凝りやすいんです。そこをマッサージするだけでも楽になる。これも理学療法士の大事な仕事です」

 リハビリは1回20〜40分。コロナ禍で家族の面会が難しい中、理学療法士は患者にとってもっともゆっくり会話できる相手だった。「みなさんいろいろ話してくださいます。『ほんまに家に帰れるんかな』『家に帰ったら家族に迷惑かける』と不安を漏らす方から、『もうすぐ娘の結婚式。ウェディングドレス姿を見るまで絶対に死なれへん』と希望を語る方まで、ほんまにいろいろです。どちらにしても話をすることが癒しになるんでしょうね。『竹井さんが来てくれるから抗がん剤も頑張れる』と言われると、私でも役に立てたんやとうれしくなります」

 患者から聞いた情報はチームで共有する。冒頭に紹介した「KYKのとんかつを食べたい」という患者の希望も、竹井がもたらした情報だった。逆にリハビリに必要な情報をチームから収集することもある。「病院食は薄味だから、ローソン(千船病院1階)のお菓子が食べたいという患者さんがいました。自分で買いものにいけば、いい運動になります。ただ、食べていいものといけないものがあるから、すぐチームの管理栄養士さんに電話して確認を取りました」

 千船病院は急性期病院であり、治癒するにせよ終末期に向かうにせよ、多くの患者はいずれ次のステップに進んでいく。送り出した後の患者の状態はつねに気がかりだ。その思いを知ってか、次の場所から様子を知らせてくれる患者もいる。「次の病院に移られた患者さんから、私宛に『もうすぐ退院です』とお手紙が届いたことがありました。名前を覚えてくれていたこともうれしかったですが、それ以上に手紙を書けるくらいに元気になったことがうれしくて。理学療法士冥利に尽きますね」

 

経験豊富な医師の参加で緩和ケアがレベルアップ

 2021年4月、緩和ケアチームに経験豊富な援軍が加わった。呼吸器内科部長の竹嶋だ。

 緩和ケアとの出会いは医師になって7年目。当時の勤務先では呼吸器内科を中心として緩和ケアチームが運営されており、竹嶋も自動的に組み入れられた。実は当初はいい印象がなかったという。「急性期の診察が多忙で、余裕がありませんでした。また、当時はチーム医療がいまほど広がっておらず、チーム医療そのものもの難しさもありました。最終的にリーダーまで任されたものの、正直、負担でした」

 しかし、その後、がん患者の治療経験を重ねる中で見方が変わっていく。「私自身が年齢を重ねたことが大きい。親を亡くしたり、自分ががんになったときのことを考えるようになって、がんという病気を治すことだけでなく、人生を見なくちゃいけないなと考えるようになりました。あと絶対に苦しんで死にたくないなあって思って……」

 緩和ケアの大切さに気づいて、緩和ケア病棟で働いたこともあった。しかし、これまで培った呼吸器内科医のスキルを活かしたいという思いも強く、急性期病院に戻った。いくつかの職場を経験した後、千船病院に赴任して緩和ケアチームに加わったのは、「急性期医療の中で緩和治療に関わるほうがスキルを活かせる」と考えた結果だった。「これまで多くの病院で緩和ケアを経験してきましたが、千船病院の緩和ケアチームは医師主導型ではなく看護師中心で温かく意見も出しやすい雰囲気です。医師である私がチームに貢献できることがあるとしたら、痛みや苦痛の原因を診断して、薬剤や処置などの医療的な提案することでしょう」

 実際、竹嶋の加入以降、千船病院の緩和ケアはレベルアップしている。以前はモルヒネを静脈注射のみで点滴していた。静脈注射にも利点はあるが、針が抜けると点滴が止まり、再注射が必要になる。それに対して、終末期の緩和ケアでは患者の負担が少ない皮下注射が一般的だ。竹嶋が皮下注射の利点を説明し、状況に応じて使い分けるようになった。

 もちろん現状に満足しているわけではない。急性期と緩和ケア病棟の両方を経験しているがゆえに、目指す理想は高い。「誰でも緩和治療ができるようマニュアル化して、底上げを図りたいです。緩和治療は、緩和ケア病棟だけのものではありません。急性期病院にこそ緩和治療に興味を持ってくれる医師が増えればいいなと考えています」

 冒頭、私は緩和ケアチームの面々は和気藹々とケアについて話し合っていたと書いた。しかし、それぞれのキャリアを振り返ると、最初はむしろ後悔や戸惑い、迷いの連続だったことがわかる。それらの苦悩を乗り越えた末の笑顔なのかと思った。

 ところが岩本は、それをやんわりと否定する。「今も毎日、あれで良かったんかな、もっと別の声かけがあったんやないか悩んでます。緩和ケアに正解はないから、チームのみんなや病棟の看護師たちも、永遠に悩み続けると思います。ただ、悩み抜いて出した答えはぜんぶ正解でいいと思えるようになってきた。仲間にもそう伝えてます」

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