どんな背景があろうと、私たちは医療人として、目の前の母子のために 最善を尽くすだけ 〜産科救急・前編〜
千船病院は年間100件以上の母体搬送を受け入れ、年間分娩数は、2022年度で2442件。この数字は大阪府内で一番の数字である。この中には医療機関を受診しなかった「未受診妊婦」が含まれている。産科の方針も、患者を断らないこと。そのために日々、心を砕いているアンサングヒーロー ―― 無名の人たちがいる。
〈2階から8階西へ移動 業務用エレベーター使用中止 お願いします〉
このアナウンスが流れると、病院内の空気がぴりっと固くなる。新型コロナウイルスの疑いがある患者が2階の救急受付に運ばれてきたのだ。8階西病棟は新型コロナウイルス対応の専用病棟となっている。
サイレンを鳴らした救急車が到着し、眼、鼻、口を覆う防護具、帽子、医療用ガウン、手袋を身につけた医師、看護師が中に乗り込んでいく。〝未受診妊婦〟と思われる患者だった。
産婦人科の北 采加は「ほんとうに暑くて、苦しいんです」と苦笑いする。「自分の息で(防護具が)曇ってしまい、前が見えなくなったりして、大変」
未受診妊婦は〈妊婦健診を1回も受けずに分娩、または入院に至った〉〈全妊娠経過を通じての妊婦健診受診回数が3回以下〉〈最終受診日から3ヶ月以上の受診がない〉と定義される。「お腹がいたい、出血があるという女性が運ばれて来た場合も婦人科医でもある私たちが担当します。陣痛だったら、お腹が膨らんでいますし、ぱっと見で分かります」
そんなときは心の中で「陣痛やないかぁー、早よ呼べやー」っと思わず叫んでしまう。「ほんまに(陣痛だと)怪しいときは、車内ですぐに内診します。まだ産まれそうにないときは(PCR)検査に回ってもらいます。緊急を要する場合はそのまま分娩室に移動、私たちは感染症対策をして、お産をすることになります」
未受診妊婦といえば、妊娠の知識がない10代、あるいは20代前半の女性を想像するかもしれない。しかし、実際には30代、40代も多いという。なぜ受診をしなかったのかという問いに対して「生理不順だから気がつかなかった」「便秘だと思っていた」「太ったのかと思っていた」という答えが返ってくる。「そんなはずはないだろうと思いながらも、母体、そして赤ちゃんのためにできることをするだけです。受診しなかったことを責めることはないです。過去は過去なので」
1991年生まれの北が関西医科大学で産婦人科を志望したのは、産婦人科医を主人公としたテレビドラマ『コウノドリ』がきっかけだった。「ドラマに感化されたというか。産婦人科を選んだ人はみんな言うと思うんですけれど、命の大切さを一番感じる診療科ですね。〝おめでとう〟って患者さんに言えるのって、産婦人科ぐらいじゃないですか」
そしてもう一つ、出産の緊急性にやり甲斐を感じたのだ。「お産っていうとみんな元気に生まれてくるっていうイメージがあるかもしれませんが、一定の確率で悲しいことが起こるのが現実。昔、出産は命がけって言われていましたよね。それまで順調だった妊婦さんでも、お腹の中の赤ちゃんがすごくしんどい状態になったとか、30分以内に赤ちゃんを出さないといけないという場合があるんです。何が起こるか分からないって、私たちは考えています」
通常の出産においても、経腟分娩で行くのか、吸引分娩、あるいは陣痛促進剤を使用するのか、帝王切開か、という選択がある。この判断で重要になるのは場数である。北が千船病院を選んだのは、大阪府内で最も分娩件数が多かったからだ。「最初はカルチャーショックを受けました。お産は修羅場でした。産科を、ああ、いいなーって、ふわっとしか見ていなかったことに気がつきました」
北が千船病院に来たばかり、1年目のことだ。「初めて担当させてもらったのが双子がお腹にいる妊婦さんだったんです。(妊娠)30週という少し早い時期で帝王切開することに決めました。彼女は、私がペーペーだということを分かっているんです。〝先生、双子ちゃんやったことありますか〟って聞かれたんです。私は正直に〝初めてです〟って答えたら、〝先生に任せます〟って」
無事に出産が終わった後、彼女から「北先生に診てもらって良かった」と言われたことが本当に嬉しかったという。
千船病院は、おそらく日本で最も多く「未受診妊婦」を受け入れている
北が千船病院で受けた〝カルチャーショック〟の1つは、未受診妊婦のように「様々な社会背景の患者さんがいるのだ」と知ったことだ。彼女の人生で出会うことのなかった人たちだった。
産婦人科主任部長である岡田十三によると、千船病院では年間30人ほどの未受診妊婦を受け入れている。「大阪府では1番多い。正式なデータはないと思いますが、おそらく日本で1番多い部類に入るはずです。未受診の方は、恵まれた生い立ちではない人が多い。親から愛情を注がれずに育ってきた人、パートナーに恵まれていない人、社会的に孤立している人。社会的な問題を抱えている人といってもいいかもしれません。家族と連絡をとっていない人がほとんど。家族に頼れない人たちなんです」
彼女たちのほとんどには出産後のサポートが必要になる。親から愛情を受けてなかったせいか、子どもへの接し方が分からない。「生後1年以内の赤ちゃんの死亡の中で特に多いのが、最初の1ヶ月以内。お母さんが連れて帰ってすぐに虐待ということも多い。そこで家族に頼れないんで、行政の支援を受ける、あるいは特別養子縁組という制度もありますよという話をすることになる。その辺りは社会福祉士の方にお任せします。千船病院にはそうした対応に慣れている社会福祉士がいます。彼女たちがぼくらが知らない情報を聞き出して、行政など地域と繋いでくれる。だからこそ、我々はどんな方でも受け入れることができる」
社会福祉士である斉藤りさが、千船病院の医療福祉相談科で働くようになったのは、2010年のことだ。「四国で生まれて都会に出て、それから神戸で営業事務として働いていました。大学に行きたかったんですけれど、元々貧乏だったので父親から〝国公立しか無理〟と言われて諦めていました。社会人として働いて約10年経ったとき、突然母親から〝前に大学行きたいって言っていたでしょ、今なら助けてあげられるよ〟と言われたんです。その翌日から受験勉強を始めて、1ヶ月で受験しました」
せっかく行くのならば、何か資格を取得できる大学、学部がいい。以前、看護師をしている姉から、ソーシャルワーカーに向いているのではないかと言われたことを思い出した。調べてみると、ソーシャルワーカーとして働くには社会福祉士という国家資格を持っているほうがいいことが分かった。そこで、自宅から最も近い、社会福祉士の資格が取得できる大学を選んだ。「そのときは、ソーシャルワーカーがどんな仕事なのか全く知りませんでした。カタカナで格好いいなくらいにしか思わなかったんです」
卒業後、大学の恩師から、千船病院でソーシャルワーカーを募集していると教えられた。「いっぱい応募者がいるから健闘を祈ります、みたいな感じでした。落ちても次、先生が紹介してくれるだろうという軽い気持ちで行ったら、受かったんです」
後から、そんなに(応募の)人が来ていなかった、人が足らず即戦力を求めていたのだと教えられた。社会経験のあった斉藤が選ばれたのは必然だったろう。
千船病院は、病気や怪我が発症したばかりの、いわゆる「急性期」の患者に対応する医療機関である。急性期を脱した患者は家庭に戻す、あるいは回復期を担当する医療施設に移す。医療福祉相談科のメディカル・ソーシャルワーカー(MSW)はその架け橋となる存在だ。そこには未受診出産のサポートも含まれる。
斉藤が入職して1ヶ月も経たないときのことだった。「入籍をしていない20才過ぎの女の子と赤ちゃんが救急車で運ばれてきたんです。トイレで落ちた子を抱きかかえて、救急隊がへその緒を切って。そのとき、未受診(妊婦)が連続していて、みんなテンパっていて〝悪いけど(自分たちでは)できひんから、そっちの人やっておいてね〟って。それで私が担当することになったんです」
幸い、母子ともに健康状態は良かった。斉藤は女性に付き添って、出生届を出すために区役所に向かった。しかし、窓口の担当者は提出した書類を一瞥すると、これでは受理できませんと首を振った。「そのときに初めて知ったんですけれど、病院で生まれていない赤ちゃん、つまり自宅出産の場合は、病院で記載した出生証明書では受理できない。救急隊の搬送証明書、本人が記載した出産時の報告書、病院の医師の意見書などの書類が必要になる。そのとき、赤ちゃんのお父さんと名乗る人は60才を過ぎていて、随分と年が離れている方でした。書類を揃えるお手伝いも再提出も、一緒に同行させてもらいました」
数ヶ月後、無事に出生届は受理された。