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千船病院広報誌 虹くじら 千船病院広報誌 虹くじら

どんな背景があろうと、私たちは医療人として、目の前の母子のために 最善を尽くすだけ 〜産科救急・後編〜

2024.07.22 特集 産科救急

「うちが未受診出産を受けんかったら、結局、どこもとってくれへんということやろ」

「未受診で来られる方は、嘘をつく人が多いんです。他人の名前を名乗って、知人から保険証を借りてくる人。産まれた後、赤ちゃんを残して行方不明になってしまう人もいます」

 健康保険加入の申し込み前に母親が失踪してしまえば、医療費は未払いとなる。そのため、医療機関は未受診妊婦を避けがちになる。また、出生届が提出されていなければ、新生児は無戸籍となる。「未受診の方をたくさんみていると、嘘ついているとか、この人逃げるかもっていうのが面談している中で感じられるようになります。ある1人の女性が未受診で運ばれてきて、逃げそうな予感がしたので、退院時に役所まで一緒に行き、出生届や国民健康保険の手続きまで済ませました」

 その約1年半後、同じ女性が再び救急車で運ばれてきた。またもや未受診妊娠だった。「2回目の出産が終わった後、自分が席を外して、他の人に代わってもらっている間に、彼氏と入籍をしたいから、ちょっと家に荷物を取りに行きたいって言い出したらしいです。そして、そのまま帰ってこなかった」

 生まれたばかりの新生児は置いたまま、である。

 斉藤は児童相談所の担当者と彼女の自宅へ行き、何度もインターフォンを押したが反応はない。しばらく待った後、手紙を残して引き上げることにした。しかし、連絡はなかった。病院長、児童相談所、区役所戸籍担当者と相談して、なんとか出生届は受理してもらった。「唯一の救いは、出生届を途中まで書いており、(新生児の)名前を記載してくれていたことでした」

 新生児は乳児院に引き取られることになった。

 しかし、これでは終わらなかった。更に約1年後、彼女が千船病院に現れたのだ。またもや彼女は妊娠していた。やはり、未受診である ――。

 斉藤は彼女の顔を見て「あ、久しぶりやな」とわざと明るく声を掛けた。「出産の後、本人は、また彼氏と入籍しようと思っていると言うんです。ああ、分かっている、分かっている、入籍は分かっているけど、先にこの書類だけ書いてねって。いつ逃げられてもいいように、出生届や委任状などの書類を準備したんです。千船病院は今、(出産後)4日目退院が普通。彼女は2日後ぐらいに、〝忘れ物を取りに行きたい〟と言い出したんです。帰ってくることを約束してもらったんですけれど、やっぱり戻ってこなかったです」 

 斉藤はMSWの仕事を「必要な部署に繋ぐこと」であると定義する。医師でも看護師でもない。医療の専門家ではないからこそ、患者の声を聞き、寄り添うことができる、と。真摯に向き合った相手に、裏切られたときはひどく傷つく。医師でないため時に軽く扱われ、心ない罵声を浴びせられることもある。「私たちも人間ですから、嫌なことがあると潰れそうになります。実際に潰れていった人もいました」

 50才になったら、仕事を辞めようと斉藤は考えていた。数年前、病気を患い1ヶ月入院することになった。「あまりに仕事がしたくなって、退院の翌日から出勤したんです。そうしたらお世辞やと思うんですけれど、みんなが〝良かった、帰ってきてくれて〟って。ほんと、ありがたいと思いました。辞めるのはいつでも辞められる。私、仕事以外やることないやんって」

 斉藤はまだまだ働き続けるつもりだ。子どもがいないから、仕事以外で自分のことを必要とされているって感じがしないんですよ、と明るく笑った。もちろん謙遜の言葉である。「この病院では、病院長、産婦人科の先生、小児科の先生、助産師さん、みんなが協力してくれる。産まれた子どもがきちんと育ってくれるよう、私の立場でやるしかないんです」

 斉藤はそんな病院で働いていることを誇りに思っている。乳児が遺棄されたという類の事件が起きたとき、岡田がこう言ったことが頭から離れない。「うちが(未受診出産を)受けんかったら、結局、どこもとってくれへんということやろ」

 その通りだと斉藤は深く頷いたのだ。

 岡田は神戸大学医学部を卒業後、研修医時代の95年6月から1年半強を千船病院で過ごしている。当時から千船病院の産婦人科は、未受診妊婦を含めて可能な限り「断らない方針」を貫いていた。そして、上司だった北垣壮之助は研修医に対して寛大だった。「当時は(研修医に対しては)トラブルにならないようあまり実地をやらせないという病院もありました。北垣先生は、患者にとっていいと思うことはやりなさい、もし何かあったら自分が責任をとるからとおっしゃってくれた。その後も自分は千船病院に育てられたという恩義をずっと感じてました」

 2003年に岡田は自らの強い希望で千船病院に戻ってくることになった。今、北たちに言い続けているのは、研修医時代に掛けられた言葉だ。「北垣先生から、人から求められるような医者になれと言われたんです。若い人たちが千船病院で働けて良かったと思ってくれること。彼ら、彼女たちは優秀だから、ぼくらを軽々と超えていくでしょう。ここで学んだことを糧に次のステップに進んで欲しい。医師だけでなくて、ここに関わる人みんながそうであって欲しいですね」

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