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千船病院広報誌 虹くじら 千船病院広報誌 虹くじら

年齢や病状によって 治療を区切ることはできない。 関節を長い期間で診るために センターを立ち上げた。〜関節センター・後編〜

2025.02.04 特集 関節センター

そして2022年4月から、鄭の右腕とも言える医師が関節センターに加わっている。原田義文だ。

 鄭よりも2学年下にあたる原田は兵庫県芦屋市で生まれた。原田の父もまた整形外科の開業医だった。子どもの頃は医師になるつもりはなかったという。

「恐竜とかピラミッドが大好きで、高校生ぐらいまでは考古学者になりたかったんです」

 考古学者として研究を進めるには、資金集めも必要になる。まずは医師になって足場を固めてはどうかと父と教師から勧められ医学部を目指すことにした。入学したのは九州の宮崎医科大学(現・宮崎大学医学部)だった。宮崎ののんびりとした空気は性に合っており、卒業後も残るつもりだったという。しかし、父親が体調を崩したこともあり、実家に近い神戸大学医学部附属病院に入ることにした。

「(卒業年度の)大学6年までラグビーやっていたんで、選択肢があんまりなかったんです。大学病院ならば100人単位で募集しているんで」

 そこならば落ちへんやろうと思って受けたんですよ、と笑う。

「そんなに自分に自信があるタイプではないんです。だから、無難に戻れるところを選んだという感じです」

 前述のように神戸大学医学部附属病院はスポーツ医学が強い。原田も高槻病院、神戸医療センターなどを回りながら、ラグビーチームなどのスポーツドクターを務めた。

「スポーツ選手って身体でご飯食べてはるので、ちょっとしたことが気になるんです。神経質と言えるぐらいまで気に掛けてこだわるのはすごいなと思いました」

 そこで最も興味を持ったのが手だった。原田は自らを「ネガティブな人間」と称する。すっと治癒した患者のことよりも、思ったように治療できなかった患者のことばかり頭に残るという。

「(整形外科の)専門医を取得する過程で、首から足まで担当する中で、なんか手だけは簡単にはいかない。これぐらいでいいだろうというのが全く通用しないんです」

 手の動きは非常に緻密である。

「骨折をしたからといって、ずっと固定していると、腱や筋がひっついちゃって曲がらない、伸びないということになってしまう。(手術の後)早く動かした方がいいんですが、折れたところはしっかりと固定しないといけない。他の場所と比較して非常に神経を使う」

 原田は整形外科の専門医、そして日本手外科学会専門医の資格を取得した。手外科とは上肢全般、特に手疾患を範囲とする。専門医は日本全国で約1000人程度しかいない。

 

「困っている患者さんがいれば、まず診ようというのがうちの方針です」

 

 千船病院のある西淀川区は工業地帯でもある。作業中に誤って、指を切断したという人間が運ばれてくることもある。

「顕微鏡で観ながら、神経と血管を繋いでいく。指1本ならばだいたい2時間ぐらいで繋ぎます。でも縫合したら終わりじゃないんです。大変なのは術後。血管が縮んでしまうこともありますし、血管の中に血栓という血の塊が出来て詰まってしまうこともあります。患部の色味が悪かったらすぐに再手術しなければならない」

 術後は24時間観察しないといけないので、看護師を含めたスタッフの協力が必要なんですと付け加えた。

 そして機能回復――リハビリテーションも重要だ。

「手の場合、リハビリが長くなります。1ヶ月で終わるというケースはほとんどなくて、半年、年単位でやられている方もいます。ぼくも診療のとき、患者さんの手をとにかく触ります。自分の力で曲げられないのを、ぼくがぐっと引っ張って曲げたり」

 自分の手に神経を集中させ、どこまで曲げられるのか、探りながら、である。絶対に機械ではできない、人間の手だから出来ることだと、原田は言う。

 また、どこまでリハビリを行うかは個人の必要性によっても差がある。

「日々の生活で、そんなに細かい作業をしない人が何ヶ月もリハビリするのは苦痛ですよね。一方、音楽家ではなくとも、趣味でピアノを弾く、あるいは裁縫する、プラモデルを作るとかいう人は徹底的にしないといけない。仕事だけじゃなくて趣味も含めたライフスタイルでリハビリをどこまでやるかを決めなければならないんです」

 プラモデルと原田がわざわざ言うのは、彼の数少ない趣味が、お気に入りのウィスキーを飲みながらプラモデルを組み立てることだからだ。

 

 現在、千船病院の整形外科には鄭、原田を含めて5人の医師が所属している。地域の医療を守るという思いから、整形外科医が24時間対応する体制をとっている。週に必ず最低1回は当直をすることになる。

 勤務日、当直の他、オンコール――緊急の際に出勤できるよう待機する日がある。そうした日はアルコールを口に出来ない。さらに受験を控えた家族への気遣いもある。そのため、原田がプラモデルと向き合う至福の時間は年に2度程度しかないという。

 24時間、整形外科医が対応するという体制は楽ではない。それでも敢えてやる理由を鄭はこう説明する。

「困っている患者さんがいて、整形外科に関する分野ならば、まず診ようというのがうちの方針です」

 鄭は原田と共に空き時間を見つけて、地元の病院や診療所への挨拶回りをしている。

「千船病院に紹介すれば、誠意をもって対応してくれると地域の病院や開業医の先生から信頼されることも急性期病院として大切。インターネットで調べたら、なんぼでもヒットするような時代だからこそ、顔見て、会って話してという機会をもたないとあかんと思うんです。週に1回程度、向こうの先生からしたらうっとうしいなぁって思われているかもしれませんけど、会いに行っています」

 西淀川区、そして隣接した此花区、兵庫県尼崎市の病院や開業医が中心である。

「ぼくら医者はずっと病院の中にいてるんで、外出るのは気分転換になるんです。いつも(患者を)紹介してもらっている先生、どんな先生なんやろって気になるじゃないですか」

 原田によると、「ぼくは名刺だけ出して、鄭先生がわっと喋って、横でにこっとしているだけです」という。次々企画を思いつき実行していく〝動〟の鄭と、〝静〟の自分の組み合わせは悪くないと原田は考えている。

取材・文  田崎健太 写真 奥田真也

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